何のために部活をやる?という疑問

何のために部活をやる?という疑問

一体、何のために部活をやるのでしょうか。青春のため?仲間のため?それとも、勝利のため?どれも素晴らしい理由だと思います。でも、そのために自分の未来を犠牲にするのって、本当に正しいことなのでしょうか。僕は、正直に言って今の高校生のハードすぎる部活には大きな疑問を持っています。勉強する時間を根こそぎ奪い、心身をすり減らすだけの部活動は、もはや「教育」ではなく「思考停止」の強制ではないかとさえ感じます。

 

この記事では、なぜ過度な部活動が問題なのか、そして生徒たちが自分の人生の主導権を握るためにどうすればいいのか、僕なりの考えを熱を込めて語りたいと思います。もしあなたが、部活と勉強の狭間で苦しんでいる高校生や、その姿を心配している保護者の方なら、きっと何かしらのヒントが見つかるはずです。これは綺麗事じゃなく、未来を守るための本音の話です。

 

高校の部活は勉強を犠牲にしてまでやるべきではない

結論、僕は高校の部活は勉強を犠牲にしてまでやるべきではないと断言します。もちろん、部活を通して得られる経験や仲間との絆は、かけがえのない財産です。

 

それは百も承知。でも、その「財産」を手に入れるために、将来の選択肢そのものを狭めてしまうとしたら、それは本末転倒じゃないでしょうか。青春は部活だけじゃない。あなたの人生は、もっと広くて多様な可能性に満ちているはずなんです。

 

好きだからこそ生まれる「やりすぎ」という名の暴走

 

そもそも、多くの生徒は「好きだから」部活を頑張っています。サッカーが好き、吹奏楽が好き、美術が好き。その気持ちは本当に尊い。僕も学生時代、夢中になれるものがありましたから、その熱狂は痛いほどわかります。でも、その「好き」という純粋な気持ちが、時として冷静な判断を狂わせるんですよね。

 

「もっと上手くなりたい」「チームに貢献したい」その一心で、練習にのめり込む。周りも頑張っているから、自分だけ休むなんてできない。気づけば、朝練から始まって、授業中は居眠り、放課後は日が暮れるまで練習。家に帰ったらクタクタで、課題をやる気力も残っていない…。これって、本当に健全な姿でしょうか。好きだからこそ、どこかで線を引く勇気が必要なのに、その「線」を引くことを許さない空気が、多くの部活には蔓延しているように思えてならないのです。

 

「部活さえ頑張ればOK」という古すぎる価値観の呪い

 

そして何より問題なのが、いまだに日本社会に根強く残る「部活さえ頑張っていれば大丈夫」という謎の価値観です。まるで宗教みたいですよね。特に体育会系の部活で顕著ですが、「厳しい練習に耐え抜いた精神力は社会で役立つ」とか「上下関係を学べる」とか、そういう精神論がまかり通っている。

 

それって本当ですか?もちろん、忍耐力や協調性が養われる側面はあるでしょう。でも、それって部活でしか学べないことなんでしょうか。むしろ、指示待ち人間になったり、理不尽な要求に「はい」としか言えないようになったりする弊害の方が大きいんじゃないかと、僕は危惧しています。時代は変わっているのに、教育現場の価値観だけが昭和のままで止まっている。この「呪い」から、僕たちは一刻も早く解放されるべきなんです。

受験を無視した異常な練習量が未来を奪う

 

特に僕が「これはおかしい!」と声を大にして言いたいのが、受験期にまで及ぶ過酷な練習です。高校3年生の夏、秋。周りの受験生が人生を賭けてラストスパートをかけているその時期に、なぜ引退もさせてもらえず、延々と練習や試合に明け暮れなければならないのでしょうか。これはもう、生徒の未来を奪う行為に等しいと僕は思います。

平日はクタクタ、休日は遠征 これでどうやって勉強するの?

ちょっと想像してみてください。平日は授業が終わって19時、20時まで練習。泥だらけのユニフォームを持って帰って、ご飯を食べてお風呂に入ったらもう22時。そこから山のような課題と、分厚い参考書を開く気力が残っていますか?いや、無理でしょ。僕の友人にもいましたよ、強豪校のサッカー部だったやつが。彼はいつも授業中、魂が抜けたような顔で船を漕いでいました。

 

そして追い打ちをかけるのが、土日の練習試合や遠征です。朝5時に起きて集合、バスに揺られて数時間。試合をして、クタクタになって帰ってくるのは夜。休むための休日が、平日以上に体を酷使する日になっている。これ、一体どうやって受験勉強の時間を作れっていうんですか?「隙間時間を使え」なんて簡単に言う大人がいますけど、その隙間時間すらないのが現実。あまりにも無責任な話だと思いませんか。

「文武両道」という言葉の美しい響きに騙されてはいけない

学校や指導者はよく「文武両道」という言葉を使いますよね。聞こえはいい。すごく立派なことに聞こえる。でも、ハッキリ言って、あれは一部の超人的な才能と体力を持った生徒にしか実現不可能な、幻想みたいなものです。ほとんどの普通の高校生にとって、過酷な部活と高度な勉強を両立させるなんて、拷問に近い。

 

それなのに、学校側はこの「文武両道」という便利な言葉を盾に、生徒に無理を強いている側面があるんじゃないでしょうか。「両立できてこそ一人前だ」みたいなプレッシャーをかけて、勉強が疎かになっている現実から目を背けている。騙されちゃいけません。その美しい言葉の裏で、たくさんの生徒が悲鳴を上げている。その声に、大人はもっと耳を傾けるべきです。

なぜ学校や指導者は勉強の面倒を見ないのか

ここまでくると、新たな疑問が湧いてきます。なぜ、学校や指導者は、生徒の学業に対してもっと責任を持とうとしないのでしょうか。「部活は部活、勉強は自己責任」とでも言うつもりなのでしょうか。生徒の将来を育むのが教育機関の役割であるはずなのに、その最も重要な部分を放棄しているようにしか見えないのです。

顧問の先生も「勝利」という結果しか見ていない?

顧問の先生の立場も、まあ、少しは分かります。部活で結果を出せば、指導者として評価される。自分の専門競技に情熱を注ぎたい気持ちもあるでしょう。でも、その情熱が、生徒の人生全体を視野に入れた指導を妨げているとしたら?それは指導者失格じゃないでしょうか。

 

大会で勝つこと、良い成績を残すこと。それが顧問の先生にとっての「成果」になっている。だから、生徒の成績が落ちようが、志望校のランクを下げようが、どこか他人事。むしろ「勉強を理由に練習を休むな」とプレッシャーをかけることすらある。…で、ですよ。それって、誰のための部活なんですか?先生の自己満足のために、生徒の未来が切り売りされている。そうとしか思えないケースが、あまりに多すぎる気がするんです。

勉強時間を確保する仕組みこそが本当の「生徒のため」

本当に「生徒のため」を思うなら、やるべきことは一つです。勉強時間を確保するための仕組みを、学校全体で作ること。例えば、練習時間の上限を厳格に定める。週に2日は完全休養日を義務付ける。そして、何よりも定期テストの1週間前、いや、2週間前から部活動を完全に停止させる。当たり前のことだと思うんですけど、これが徹底されていない学校がどれだけ多いことか。

 

さらに言えば、成績が一定の基準を下回った生徒には、部活への参加を制限し、補習を義務付けるくらいの対応があってしかるべきです。それは罰じゃない。生徒の将来を守るための、教育的な「愛の鞭」です。部活の勝利と、生徒一人の人生。天秤にかけるまでもなく、どちらが重いかなんて、分かりきったことじゃないですか。

 

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まとめ 自分の人生のハンドルは自分で握ろう

 

ここまで、高校のハードな部活に対する僕の疑問や怒りをぶちまけてきました。部活動が持つ素晴らしい価値を否定するつもりは毛頭ありません。でも、それがすべてになってしまい、君自身の未来の可能性を閉ざしてしまうのなら、それは「毒」でしかない。これが僕の揺るがない結論です。

 

部活を頑張る君は、本当に素晴らしい。でも、君の人生は、そのグラウンドや体育館、音楽室の中だけで完結するものじゃないんです。その外には、もっと広くて、面白くて、可能性に満ちた世界が広がっている。その世界へ旅立つためのパスポートが、今の「勉強」なんです。そのパスポートを、目先の勝利や同調圧力で手放してはいけません。

 

周りの大人や仲間は、いろんなことを言うでしょう。「今頑張らないでどうする」「みんなやっているんだから」と。でも、最終的に君の人生の責任を取れるのは、君自身だけです。もし、今の部活が君の未来を蝕んでいると感じるなら、勇気を出して声を上げてください。顧問に相談する、親に話す、そして時には「辞める」という選択肢だって、決して逃げなんかじゃありません。それは、自分の人生のハンドルを自分で握るための、勇敢な決断です。あなたの青春が、未来のあなたを縛る鎖にならないことを、心から願っています。